本番で「上手く演奏しようとすること」に徳は無い

わたし(アマチュアミュージシャン)の場合、

演奏機会があったとしても月に1本か2本くらいだったり、

次のライブまでしばらく間が空いたりして、

本番で力が入りがちになるのが悩みのタネです。

 

アマチュアミュージシャンで同様の悩みを持っておられる方は少なくないと思います。

 

加えて、生真面目な性格の方だったりすると、これが加速するのではないでしょうか。

音楽の演奏っていうのは、「100%の力で、一生懸命、真心をこめて、真摯に、真剣に、出し切って」でなければならない。

的な風潮?があるじゃないですか。

頑張ることを否定するつもりは無いのですが、、、

 

わたしなんかの場合、

「人の目が気になる」「上手くやらないと」というプレッシャーも感じているのでしょうか、

特に知り合いの女性なんかが演奏を聴きにくるとガチガチになったりして(笑)

 

 

なんというか、

「本番=頑張るもの」という図式が無意識に出来てしまっている。

緊張するというより、緊張しないと失礼、くらいの意識が心のどこかにあるような気がする。

とある時気づいたんですよね。

 

 

 

しかし、これまた最近ふと気づいたんですが、

 

結果としての「上手い演奏」というのは、たしかに善いものだ。

だが「上手く演奏しようとすること」は、自分にとっても聴衆にとっても、意味が無いなと。

 

聴いている人が感じることができるのは、

演奏行為の結果=音楽としての「善い演奏」だけで。

演奏する人の内面的な「頑張ろう、上手くやろう、真心、がんばる」的なものに、聴衆が感動する訳ではない。

音楽教室の「発表会」なんかは、理念的にこの逆ですよね)

 

極端な話、演奏者が全く「ガンバっていない」としても、

結果として聴衆が心を動かされるような「善い演奏」が生まれていれば、それでいいんじゃないの?

 

 

ミスのないように「頑張って」、その結果力んでしまって、演奏に悪影響が出るのであれば。

さらに、その「頑張り」は、聴衆にとって意味が無いとすれば。

この要素、意味の無い「頑張り」は、排除するべきだ。

 

さらに言えば、

本番での無駄な「頑張り」が無くても良い演奏ができるようになるまで、

普段の練習を「頑張る」べきだ。

 

普段の練習→しこたま頑張る。

その代わり、

本番→頑張らなくていい。

 

 

つまり、善い演奏という目的を達成する上で、

「頑張る」をコントロールするというようなイメージでしょうか。

 

 

・本番での「頑張り、あがき、緊張」は、聴衆にとっては意味がない

→意味のない「頑張る」は排除する。

 

・それは、どのような演奏が生まれようと受け入れる覚悟をするということに繋がる。

音楽的結果の如何は、普段の練習にほぼ全て託されているはずだ(だから本番で足掻いても意味がない)。

→本番で足掻かなくても良い演奏ができるように、普段の練習頑張りを注ぐ

 

 

 

この状態が当たり前の人にとってはなんて事のない話でしょうが、、、_:(´ཀ`」 ∠):

でも、

「本番=頑張らないと失礼のような感覚が染み付いているわたしにとっては、

これはちょっとした発見だったのです。

 

 

これがもし、毎月何本も演奏機会のあるプロミュージシャンの場合だと、

いい具合に力が抜けていく≒いい意味で頑張らない だから、リラックスして演奏できるのでしょうかね。。。知らんけど(笑)

 

 

そうは言ってもだ、ミュージシャンの「熱い演奏」の、その姿が聴衆の心を打つものだろう、

演奏に「気合が入っている、一生懸命」であるほど、善いではないか?

「全力で演奏する」のがミュージシャンシップだろう?

 

こういう考えをする人もいると思います。

 

だけれど、聴衆が受け取っているのは

演奏しているミュージシャンの姿(外面的な)と、

演奏された音楽的結果

この2点だけですよね。

 

だから、どれだけ演奏者が、内面的に

ガチガチに力が入っていようと、力が抜けてリラックスしていようと、

聴衆の受け取り方には関係無いように思います。

逆に、外面的に遮二無二やってる(熱い)感じに見えるからといって、音楽的結果に関係なく「良い演奏だ」とも言い難いと思います。

 

わたし的に演奏者としては、

リラックスして演奏している。なので「熱い演奏」という外面的演出もする余力がある

という状態の方が、目標にしたいなと思います。

 

 

繰り返しになりますが、良い演奏に向けて頑張るということを否定するものではないです。

毎回緊張に溺れてしまう方は、一度「頑張る」を見直してコントロールしてみては、というお話でございました。